家を建てた時、まさか家ごと断捨離する日が来るとは一ミリも思ってもいなかった。むしろ、終の住処だと信じていたし、愛着もありとても大切な場所だったから。
ここに越してきた時に植えた一本のミモザの木。毎年2月になると、可愛い黄色の花と爽やかな香りで庭が彩られていた。いつの日か、このミモザの木は家の前を通る人の心を動かす我が家のシンボルツリーになっていた。もちろん、私たち家族にとっても大切な存在である。
初めは家を残して、借主を見つける選択肢もあった。でも、何か心配事を残して日本を離れるのは違うという違和感を強く感じていた。すると、
「旅に行くなら、100%旅に集中していたい」
ふと心の叫びが聞こえた。
私の性格上、何個も同時進行すると全て宙ぶらりんになってしまう傾向がある。だから全てのエネルギーを100%旅に投資したいと思ったのだ。
背中を押した「不思議なサイン」
実は旅に出る決断をする少し前から不思議なサインが来ていた。
まず、しきりに友人が「湘南の不動産価格が上がっているから売るなら今だね。」という話をしてきていたのだ。
さらにある日、一緒にお仕事させてもらった方から、“世界一周航空券”で世界一周したお話を聞かせてもらった。なんて素敵なご家族なんだ。とワクワクしながら帰宅すると、スマホの画面に世界一周航空券についてという記事が…
思わず誰か後ろから見ていたのかと振り返り、背中がゾワゾワしながら夫に見せた。
夫は「これを使えば行けそうだな。」と目を輝かせ、私たちは世界一周航空券を使って世界一周をすることに決めた。
過去の自分との決別
そこから売却への道のりが始まり、住み始めてから10年以上手をつけていなかった収納の扉を開けることになる。
片付けに手をつけ始めるとすぐに過去の自分を恨んだ。
「ほぼゴミじゃん…」
家は売却してしまうので、小さなストレージを借りることにして、そこには帰国後使うであろうものだけを置き、それ以外は処分。
もう10年近く使った冷蔵庫や洗濯機などの家電類は、ちょうど買い替えのタイミングであったので処分。もちろん大型家具も処分することにした。
洋服も靴もほぼ処分。ほんの数枚、帰国してからも使えるかな?というものだけを残した。子供の服はとても簡単。なぜならすぐにサイズアウトするし、いつも1年ももたないくらい着倒してくれるから気持ちよくさよならできる。
あとは自分が亡くなった時に子どもたちが処分に困るものは捨てるというルールを設定した。卒業アルバム、青春時代の写真は思い切って捨てた。
捨てていると何だか気分がスッキリする自分にも気がついた。自然と古いエネルギーを脱ぎ捨てていたのかもしれない。
でも、ゴミとして捨てていると段々心が傷んできた。
そこで初めて、ジモティなどのフリマアプリを使って循環も試みた。すると不思議な出会いがまた広がった。
「世界一周から帰国したんです。」
「つい最近アメリカから戻ってきました。」
「昔、世界を回ってボランティアしていたんです。」
「今、子供が留学しているんです。」
なぜか海外にまつわる人との繋がりが増え、情報交換もさせてもらった。そして、嬉しいことにたくさん応援をしてもらった。その中でも心に残っているのは、最後にご挨拶したくてと取引に関係なく連絡をくれ、お守りを持ってきてくれたのだ。
世の中にはこんなにも優しい人がいるのかと涙が溢れた。そして、この時いただいた優しさは必ず世界で循環させていきたいと心に誓った。
結局、退去の1日前まで断捨離との戦いで、旅の準備まで手が回っていなかった。日に日に増していく焦り。本当に家を出ることができるのか。この問いが終始頭の中をぐるぐる。
しかし、ご近所さんに支えられて何とか家を空っぽにして退去の日を迎えることができた。奇跡でしかない。
5人それぞれの「さようなら」の形
退去までの時間、家族それぞれの想いを抱えながら過ごしていた。
1番切なそうにしていたのは、夫と長女。
初めてのマイホームを手放すというのは大黒柱としては色々感じるものがあったのだろう。彼は決断するまで人より時間を要するタイプ。しかも環境の変化にあまり強い方ではない慎重派である。その一方で決断した途端、行動というエネルギーが爆発的に動く。今回の決断には迷いはなかったと思うけど、新しい環境になる不安は少なくとも感じていたでしょう。
そして、長女。あんなに「行きたくない」と言っていた学校だったけど、5年生に進級して素晴らしい担任の先生に出会い、皮肉にも学校生活が楽しくなってきた矢先のことだった。「せっかく楽しくなってきたのに…」という複雑な感情が、彼女の中に渦巻いていたはず。
そして長女もまた、変化に弱い。まだ見ぬ新しい環境に対してとてつもない不安を感じながら、過ごしていたことでしょう。人より少し物事を進めていくのに時間がかかるタイプだから、片付けも進まず毎日ストレスまみれだったと思う。
でも、救いだったのはその担任の先生。実は学生時代に世界を巡っていた「旅の先輩」だった。先生が力強く背中を押してくれたおかげで、私たちも後ろ髪を引かれる想いを振り切り、「世界旅という最高の教育現場」へ向かう心の準備が整った。
真ん中はお友達と離れる寂しさを感じていた様子だったけど、見せないようにしていた。4歳だけど、周りの状況を察知して迷惑かけないようにって精一杯強がり、私たち大人を安心させてくれていたのだろう。ふと、その優しさに気がついた時、目頭が熱くなった。こんな小さい子に我慢をさせていたのかと。と、同時に息子の愛がとてつもなく大きくて、私はなんて幸せ者なんだろうと心がぽわっと温かくなった。
そして、2歳の末っ子。家の中がどんなにカオスになっても、普段通りニコニコとしていた。その通常モードのおかげで、取り乱すことなく過ごせていた。彼女は我が家の救世主である。末っ子と笑うたびに緊張や不安でぎゅっとしていた体がふわっと軽くなったのを覚えている。
最後に私。全然スケジュール通りじゃないし、完璧じゃなかったけど、やり切った感と、これからやっと旅へと意識が向けられる嬉しさが込み上げてきて、家を出る瞬間は自然と笑顔になっていた。
私にとっては3度目の長期海外。やっと板についてきた感覚があった。1人の時とは見当もつかないほどの思い出としがらみがあったけど、やはり新しい世界に進むのは私の心をワクワクで満たしてくれる栄養剤なんだなと痛感した。
実は、家を空っぽにして私たちが最初に向かったのは、空港ではない。 世界へ飛び出す前に、私たちはまず西日本を巡る旅へと駒を進めることを決断していた。これについてはまた書くことにする。
物理的な「もの」より大切だったこと
最後に空っぽになった部屋を見て私が感じたのは、寂しさよりは「今までたくさんの思い出をありがとう。いつも私たち家族の成長を見守ってくれていてありがとう。」という感謝で胸がいっぱいになったこと。
家そのものを手放すことよりもこの地を去るということ、それはご近所さんとの繋がりが薄くなる方が悲しいと感じていたと思う。
湘南に知り合いもいない状況でこの地に移り住み、いつの間にか家族以上に支えてもらっていたご近所さん。私たちにとっては湘南の家族だと勝手に思っている。感謝しても仕切れないほどたくさん愛をもらい、私たちの生活を彩る一部になっていたのは間違いない。
明日からは家の前で会いたわいもない話をすることもない。
子供たちが家の前で遊ぶ姿も見れない。
毎年恒例的なイベントもない。
あれもこれもとあげるとキリがないけど、
そんな気持ちが脳裏を過ぎるたびに、「このご縁はこれからも存在しているから安心して。」と自分に言い聞かせていた。失ったのではなく、今までのご縁を熟成させる期間に入るのだ。
When do I feel the most happy?
私たちが築き上げた湘南での暮らしは、物質的な喜びより、人と時間を共有する喜びを教えてくれていたのだろう。



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