前回の投稿でも記述したように、私たちは家を空っぽにしてから、直接空港へ向かうことはなかった。
日本を語れない日本人としての恥
私は過去に2回ほど日本を離れて異国に住んでいる。その時に強く感じたことは、日本人としてのアイデンティティを胸を張って語れないという恥ずかしさだった。
子どもの頃から日本人であるという誇りが乏しく、海外に住む叔母の影響もあり外国への憧れが強くあった。そのため、日本を旅する時間とお金があるなら海外へ飛びたいと考え、仕事を始めてからは長期休みができるたびに海外へ行っていた。そして、海外にいると心地よく、毎回帰国するのが嫌だった自分がいた。日本って色んな意味で窮屈だなと。
このようなスタンスでいるからか、現地で出会う方から日本について聞かれると言葉に詰まることが多く、日本人として名乗るのも恥ずかしいと思った経験が何度もある。
また旅先で日本の負の遺産を発見したり、出会う方から日本の文化について敬意の念を伝えてもらったり、それだけでなく「日本人です」というだけで喜ばれたり感謝され、先人達が残してくれたギフトを体全身で受け取っていたこともあり、日本人のルーツを語り、海外の人に私たちの国を知ってもらいたいと思うようになっていた。
魚は水にありて水を知らず
まさにその状態であった。
家族と話し合い、日本の歴史として大切な場所である広島を目指すことにした。戦争という負の歴史を学び、「平和とは何か」という問いを持ちながら世界をみることは、家族それぞれにとってどういう意味になるかは分からないけど、とても大切なことだという確信だけはあった。
空白の2週間で出会った名前も知らない大きな存在
また家の売却のスケジュールも一つの後押しとなった。家を退去する日と、受け渡しの日の間が2週間ほどあり、仮の住まいを探さないとならなかったのだ。
その空白の時間を西日本に行く時間に当てることにし、私たちは歴史を学ぶだけでなく、西日本で会いたい人に会うというミッションも同時に課した。
実は世界旅を決めた時から、世界を旅する旅人たちとの繋がりを積極的に作っていた。そして幸いにも私たちに会いたいと言ってくださる方が多くいて、情報交換をさせてもらっていた。
西日本でもまた会いたいと連絡をくれた家族と会うことができた。もちろん、長らく会えていなかった私の友人にも会うこともできた。とても嬉しくてワクワクが止まらなかったことを覚えている。
さらには大好きなご近所さんの故郷も訪ねることができ、旅をしているのにご近所さんと繋がっている感覚が生まれて、家族みんなで嬉しくなった。夫に関しては、故郷に似ているようで親近感が湧いてホッとしているような感じだった。また、この土地で出会う方も優しい方ばかりで、いつか住んでみたいねと未来の妄想もした。
旅のルートとしては、広島、山口、大阪、兵庫、静岡、そして、荷物を取りに湘南に立ち寄り、私の実家である東京に移動した。
子ども達にとっては初めての西日本。私も広島と山口は初めて訪れる場所であり、ワクワクしていた。
広島には最終の新幹線いうこともあり、雨も降っているし、駅も暗く活気もなかったけど、タクシーの運転手さんがとても優しい人だったのを鮮明に覚えている。
疲れ切っていたけど、あの運転手さんのお陰様でとても明るい気持ちになれた。名前も知らないし、20分もしない少ない時間の共有であったけど、少なくとも私たち夫婦にとっては大きな存在であり、とても感謝している。
広島、祈りが包み込む「凛」とした空気
次の日、早速原爆ドームと平和記念館を訪れた。広島に行く前は、深い悲しみのエネルギーが蔓延していると想像していたけど、良い意味で期待を裏切った結果となった。
きっと国内外たくさんの人の祈りが悲しみを包み込んで、清らかな凛とした空気感になったのだろう。澄み切った青空が広がり、気がつくと大きく深呼吸していた。
全て見終わると、子ども達それぞれに戦争に対する反応が見られた。
長女はその悲惨な現実を目の当たりにして、とても疲れ切っていた。しかし、たくさんの外国人の方が真剣に戦争について学んでいる姿に心奪われたようだ。平和記念館では、ノートが置いてあり、誰もが感想を書けるようになっていた。その内容をパラパラとめくり、私になんと書いてあるのか聞いてきた。英語の文章だけだけど翻訳してあげると、うんうんと深く頷いていた。そして、長女は自らペンを取り、一文残していった。
内容は見せてくれなかったけど、彼女なりに「平和とは」を咀嚼し、伝えようとしている成長が見られた瞬間だった。心の奥がじわーっと熱くなった。
小さい頃から感受性が豊かで、映画を主人公の気持ちに共感して涙したり、戦闘ものは怖くて見られなかった長女。さぞかし苦しい時間になったとは思うけど、その繊細さで当時の人の気持ちに寄り添い、もう2度と戦争は起きてほしくないという気持ちが芽生えたのではないかと思う。
息子は、原爆が落とされ一瞬で街がなくなるという映像の展示に釘付けになり、しばらくの間、そこから離れようとしなかった。何度も街がなくなる瞬間を見て、ふと、「今どこの国で戦争が起きているの?」という質問をした。
ミサイル、爆弾などの言葉はメディアやゲームなどから知ってはいたけど、実際にその凶器がどのように私たちに影響しているのか、それが現実と結びついた瞬間であっただろう。そして、また彼も戦争のない世界を望んだように見えた。それから旅を終えるまで、何度も戦争について質問を繰り返していた。
末っ子は、ここでもいつもと一ミリも変わることなく天真爛漫でニコニコ。過去に引き戻されて悲しみに暮れていた私たちは、その無邪気さで、「今」という平和に戻って来れたのだと思う。
私にとっての「平和」の答え合わせ
私は祖母が育ててくれたこともあり、何度も何度も戦争のリアルを聞かされていたし、アメリカでもまたアメリカの視点で戦争について学び、オーストラリアでは戦争で亡くなった方の石碑を見つけ、今まで様々な視点から戦争について学んできた。
そして今回、初めて広島の原爆投下を現地に行って学び、点と点が繋がった感覚があった。
「人々が心豊かに自分を生きること」
このあり方こそが、今の私にとって「平和」を意味し、これから世界を旅しながら学ぶ最大のテーマであると受け取った。
戦争という地位とお金の奪い合いは、「人間として生きることとは何を意味するのか。何が自分にとって大切なのか。」という大きな気づきをもたらしたことは間違いない。
街が壊滅的に破壊され、何も残っていない。しかし、生き残った人々で手を取り合って、今日まで何代にも渡り、力を合わせて再建してきた。そのベースには、人と人との繋がりがあるのではないかと思う。
また、戦場へ向かって苦悩した方々も人の命がどんどんと消えていく現実を目の当たりにして、同じように葛藤したのではないかな。
When do I feel the most happy?
今生きているこの瞬間に少なくとも「平和」を感じているということは、当たり前ではなく、何にもかえ難いギフトである。
それに気がついた時、内側からなんとも言えない温かさが溢れてくる。


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